愛があればセックスはなくても大丈夫?

わが国では、20代~40代のカップルの半数がセックスレスだといわれます。性生活がなくても平気な人が増えているのでしょう。一方で、セックスなしの人生では「生きている意味がない」とまで感じている人も少なくありません。「愛さえあればセックスなどなくても構わない」と語る人もいますが、そういう人の多くは、セックスに満足していないか、したいけれどできない環境にあるための言い訳に過ぎないことがあります。口ではどんなにセックスを軽く扱ったとしても、根本的には性生活のない人生に満足できる人はそれほど多くはないのです。

愛があるのにセックスしていない、と自信満々に語れる人はいない!?

恋愛評論家などの中には、「愛があれば性生活はなくても構わない」と主張する人がいます。仲の良い夫婦の中にも、「わが家はセックスは卒業したけれど愛で結ばれているから幸せ」と語る人もいます。しかし、実際に「愛があるのにセックスしていない」と自信満々に、ウソ偽りなく断言できる人はいるのでしょうか? 心のどこかに、「本当はセックスしてもいいと思えるほどには相手のことを愛していない」とか、「配偶者とのセックスではオーガズムを感じられない」などという後ろめたい気持ちを隠しているのではないでしょうか?

夫がEDになり性生活ができないことの言い訳として、自らを納得させるために、「なくても構わない」と語ることもあるでしょう。求めても得られないものを欲しいと思ってはいけない、と自分を合理化するために「愛さえあれば…」と語るのです。バイアグラの登場でEDは治る病気になりました。ヘタな自己合理化をして性の不満を封印するよりも、専門クリニックの扉を叩いて処方してもらい、豊かな性生活を取り戻すべきでしょう。「性生活はなくても…」などとウソをつくより、よほど人生は充実するはずです。

欲情と愛情とを区別することはほとんど不可能

「愛とセックスは別もの」という人もいますが、それほど簡単なものではありません。「欲情」と「愛情」とは渾然一体としているため、区別をすることは困難です。しばしば女性は自分に言い寄る男性に対して、「体だけが目的ではないか?」と疑いますが、男性が女性に欲情するときには幾分かでもその人に対する興味や関心を持っているもので、それは「愛」といっても構わないような類のものです。

女性も、男性に「愛」を感じるときには、「この人なら抱かれたい」という気持ちを持っています。「抱かれたくない」と感じる相手を愛することはないでしょう。女性が男性を「好き」になるときには、必ず「抱かれたい」と考えているものです。愛とセックスとは切り離せないものなのです。

セックスは軽く扱われるものではありません。男女の関係を強く結びつけるために必要なものです。性生活抜きに男女の関係を語ることはできません。愛があればセックスはつきものなのです。「愛しているけれど、セックスはしない」「セックスはなくても構わない」というのは、どこかに無理をしている人の語るセリフでしょう。